Junk DNA

元来料理の良否は、素材の良否がものをいうのである。「まずい」素材をうまいものに是正するという料理法は由来発明されていない。   -北大路魯山人

Monday, July 10, 2006

スーパーカップ

夜は支那そばにカレーパン、野菜ジュース、帰宅後にプチトマト8個だ。健康なんだか、不健康なんだか解りゃしない。

さて、帰りの電車で、ボックス席にデブがいた。トイメンに1人坐っていたが、彼の隣りと正面には誰もいない。別に、その電車が空いていたわけではない。むしろ、途中までは相当混雑していた。しかし、彼の傍に近づこうとする乗客は殆どいなかった。容貌は安田大サーカスのヒロに似ている。容姿を嘲笑うのは本意でないものの、彼はまた、ハゲである。にもかかわらず、彼は車中、アイスのスーパーカップを喰っているわけである。パンと500mlの紙パックのコーヒー(これは無糖だったが)を加えて、である。伊集院静や「ホンジャマカ」の石ちゃんのようにデブであることが芸ではあるまい。なぜ、デブなのを自覚しているはずなのに、スーパーカップなのだろう。デブであることが悪いのではない。自覚の無さが厭なだけである。

小松和彦『神になった人びと-日本人にとって「靖国の神」とは何か-』(光文社知恵の森文庫、2006年。原書は2001年)を途中まで読む。
文庫版序文で小松氏が「東京都慰霊堂」について触れている。この施設はもともと関東大震災で犠牲となった人々の臨時葬送・供養施設として始まったもので、戦前「震災記念堂」と称したものを、戦後東京大空襲で犠牲となった人々を合祀して慰霊する施設となった。コイズミ純一郎という人物は靖国参拝が平和を祈念するためのものであり、心の問題だと言い張って何度となく足を運んでいるわけだが、彼がこの慰霊堂を訪れたことは一度もないという。コイズミの平和など紙吹雪の如く軽薄であることを窺わせるエピソードだ。実際、戦没者慰霊をあからさまに主張するのであれば、靖国神社だけではなく、日本各地の寺社にある慰霊碑を逐次参拝すればよい。
俺も日本遺族会(祖父さんの弟が戦死してる)だが、正直、遺骨は檀那寺の墓に埋められているのだから、そっちを拝んで欲しいぞ。南洋の珊瑚礁じゃあるまいし、手前の都合のいいように戦没者を取捨選択し、合祀して1柱の神だっちゅうのは、グロテスク極まりない。はっきり言って、靖国神社にお世話になる可能性のない奴ら(具体的には、「忠良なる臣民」を戦地に送り出すコイズミのような政治家どもである)が、己らの悔恨を込めてヤスクニに参拝するという図にしか見えないのだ。「ボクたちは戦争しないけど、戦争で死んじゃうお前らをちゃんと拝んどいてやるね(笑)」ということなんだろ、政治家の皆さん(戦没者弔慰金を10倍くれたら文句は言わないけど(笑))。
いつでも言うのだが、政治家の子どもがなぜ政治家になる? なぜ、自衛隊に行かない? 勇ましいことを声高に主張している代議士の子どもで自衛官になったのってどれだけいるよ? で、そのうちイランへ派遣されたのは誰よ? いないよね。だから、その穴埋めにヤスクニ参拝しているとしか見えてこないんだよ。国を愛する? ご自分らの子弟は国を大いに愛し、麻薬なんかに手を染めたりしてないわけだ(笑)。

7月7日からはじまったスペイン・パンプローナの牛追い祭り。今年も被害続出らしい。集中治療室に送られた債券トレーダーの米国人男性(31)は肺への合併症で容態が悪化しているそうだし、どうも久しぶりに死者が出る可能性もある。諏訪大社の御柱祭や、岸和田のだんじり祭と同様、「死んでもしゃーない」ということなのだろう。しかし、米国からスペインに行って生死の境を彷徨ってるというのも、なんだかなあ・・・。

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